県指定史跡
14.那珂湊反射炉跡 附那珂湊反射炉資料25点(なかみなとはんしゃろあと つけたりなかみなとはんしゃろしりょう25てん)江戸時代末期
幕末になると那珂湊沖などに異国船が出没するようになり、水戸藩第九代藩主徳川斉昭公は国防の必要性を強く感じ、水戸藩では鉄製大砲の鋳造を計画しました。反射炉は、大砲鋳造に必要な大量の鉄を溶解する炉で、オランダの技術書や、先行して事業化した諸藩に学んで建設されました。反射炉の名称は火炎を炉体内部で反射させて熱を効率的に集める構造に由来します。安政元年(1854年)に着工、同2年と4年に1炉ずつ完成し、二十数門の大砲が鋳造されたといわれています。反射炉は、元治甲子(げんじかっし)の乱(1864年)で破壊されてしまいましたが、昭和12年、現在の復元模型が作られました。また、反射炉建設に力を発揮した飛田与七が残した資料も附として併せて指定を受けています。この他の反射炉関係資料としては「飛田家資料」が市指定歴史資料となっています。
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