【講座番号483】佐野歴史講座 -水戸藩と付家老 中山氏-
イベントカテゴリ: 趣味・教養 講座・教室
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講座案内
水戸藩の付家老、中山氏は徳川家康から初代頼房に付けられたのち、幕末に至るまで付家老としてその役割を果たしました。御三家のみの職制である付家老を、その特殊性とともに様々な角度から学びます。
- 開催日
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2024年10月15日(火曜日) 、12月17日(火曜日)
2025年1月21日(火曜日) 、2月18日(火曜日) 、3月4日(火曜日) - 開催時間
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午前10時 から 午前11時30分 まで
- 開催場所
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佐野コミュニティセンター 大会議室
- 対象
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成人 24人
- 内容
講座内容(全5回)
10月15日(火曜日)中山氏とは 家康に引き立てられた中山兄弟
12月17日(火曜日)付家老とは その役割1月21日(火曜日)光圀と中山信吉 信正 信治 信行 信成 信敏6代
2月18日(火曜日)中山家中と領地支配
3月4日(火曜日)大名昇格運動と斉昭 幕末の中山氏と松岡藩(注釈)講座の日程及び内容は、講師の都合などにより変更になる場合があります。
- 申込み締め切り日
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2024年8月30日(金曜日)
申込みは終了しました。
- 費用
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必要
参加費は500円です。初回に徴収します。
- 講師
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沼澤 佳子
- 持ち物
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筆記用具、飲み物
講座の様子
第1回10月15日実施
講師から、武蔵国出身の中山氏がどのような経緯で、水戸藩付家老の役職に就くに至ったかを「水府系纂」等の資料から説明がありました。中山氏の家系は「忠義を重んじる」人物が多く、徳川家康が徳川頼房の優秀な家臣団を創設するために召し抱えられました。特に、中山信吉は家康の信頼が厚く、水戸藩主頼房の付家老にまでなりました。徳川氏が常陸国に入ることで従来の支配体制が変わったため、新体制づくりにいろいろ工夫したことを学びました。
第2回12月17日実施
付家老とは、徳川御三家の幼君に代わって藩政を執行し、新藩の家臣団をまとめられる人物として家康に選ばれた人物たちです。付家老は幕府制度上の正式な職名ではないこともあり、選ばれた人物の特徴や待遇についての説明がありました。受講者は、付家老が主家と同様に上屋敷・中屋敷・下屋敷を持っていたこと、将軍への拝謁を許される幕府直参扱いだったこと、石高は大名並みであることに驚いていました。徳川御三家初代藩主にとって付家老は、親(家族)未満家来以上の大切な存在だったことを学びました。
第3回1月21日実施
中山家は長年にわたり水戸藩付家老の要職に就いていました。特に、第2代藩主光圀と中山家とのつながりが強かった理由や信頼関係についての説明がありました。水戸藩の当主を選定する面接に来た中山信吉が光圀の器量に感動し、そのことを家光に報告したことで光圀が当主に決まりました。その後、光圀は「中山家あっての水戸徳川家」というほど、中山家を大事にしていました。中山家の当主が代わろうとも大名並みの処遇が継続されたこと、代々の当主が臨終の際には居宅を訪れ見舞い、葬儀にも意を尽くすなど深い信頼関係があったことを学びました。
第4回2月18日実施
中山家が水戸藩付家老の要職に就いて約80年経った頃の、中山家と水戸藩主との関係について「礫川役用日記」から読み解いていきました。この日記が書かれたのは、水戸藩は第3代藩主綱條、中山家は第5代付家老信成の時代です。綱條は光圀の時と同様に中山家を今まで通りの大名並みの扱いをし、その家格が埋没しないようにしました。また、講師から、西山に隠居した光圀が、水戸藩の盤石な体制づくりのために中山家の存在を重く位置づけ扱っていたという説明がありました。受講者は、水戸徳川家と付家老中山家の関係が良好に保たれていたことを学びました。
第5回3月4日実施
初代付家老中山信吉から第5代信成までは北茨城市南部から高萩市に至る松岡、第6代信敏から第9代政信までは太田、第10代信敬以降は松岡を知行地として拝領していました。19世紀になると、付家老の処遇改善のための運動が起こり、水戸藩でも信敬が松岡の館を整備し行政、民政のしくみを整え、地位向上に努めていったと講師から説明がありました。中山氏の知行地松岡は、明治元年から4年までは松岡藩として正式に認められたことを学びました。
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