篠崎桃子さんへのインタビュー全文
「誰かの役に立ちたい」という想いを実現した暮らし
人との出会いをきっかけに移住してきた篠崎さん。漠然とした「人の役に立ちたい」という想いが、ひたちなか市で実現できているそうです。彼女の移住ストーリーと心境の変化についてお聞きしました。
これまでの生い立ちから自分のアイデンティティを振り返る
ゲストハウス編湊でも料理を作っていますが、料理を始めたきっかけは?
もともと母子家庭で、母親が夜の仕事をしていたので、料理をしない人間だったんです。夜はコンビニか、出前か、お金が置いてあるか。健康的な食事が学校の給食しかなかったですね。小学校5年生の調理実習で、「料理って自分で作れるんだ」って分かって。それから給食のおばさんにレシピを聞いて、母親に月2万円でいいから預けてくれれば、妹の分もあわせて食費をやりくりするからって。そこから料理にハマっていきましたね。あと「自分でできることは何でもやろう」という精神も養われました。
Web制作に関わるようになったのは?
飲食業にはずっと憧れがあって、10代は地元の飲食店でアルバイトをしていました。でも、店長がすごく働いているのに全然稼げていないのを見て、いずれは自分のお店を持ちたいけど、まずは手に職をつけて稼げるようになりたいと思っていました。
振り返ると、自分が母親と普通の家庭を築けなかったので、子どもに寄り添う「家にいるお母さん」になりたかったんだと思います。だから、どこでもできる仕事のスキルが必要だなと考えて、Web制作に興味を持ちました。
移住のきっかけは、人との「つながり」
移住のきっかけは?
20代前半はバーテンダーをしたり、Webの仕事をしたりといろいろしていました。当時住んでいたシェアハウスで仲良くなった茨城出身の友達と、ロック・イン・ジャパン・フェスティバル(以下「ロッキン」)に飲食店を出店することになって茨城に縁ができました。そこから知り合いが広がり、「日立オクトーバーフェスト」の立ち上げや運営に携わってほしいと言われて。そこで移住のきっかけとなる日立市の飲食店のオーナーと出会いました。「もし飲食のお店がやりたいなら、日立に空いている店舗があるからやってみない」と誘われたんです。
よく移住を決めましたね。
本当にすごく迷った。東京で暮らしているのに、知らない田舎のまちにお店出して、ちゃんとやれるのかなって。でも、オーナーが以前の売上情報とかも全部見せてくれて、これだけの利益が見込めるのなら頑張ってみる価値があるのかなと思いました。
あと、「生きている限り、少しでも社会にいい影響を与えるような仕事をしたいな」と思っていて、なにか新しく挑戦をしたいなと漠然と考えていた時に、この話が来たので、巡り会わせを感じましたね。
東京から離れるのは怖かったんですけど、茨城だったら最悪、失敗したら戻ればいいかな、簡単に行き来できるし。そんな思いで2019年4月に日立市に移住しました。
ひたちなか市に来たきっかけは?
コロナの影響もあって、2020年12月末に日立のお店を閉めることになって、東京に戻るか茨城でまた家を借りるか迷っていたんです。でも、お店の屋号「まんま」は残したくて、茨城で移動式居酒屋として続けることにしました。その拠点のひとつとして、キッチン編湊(ゲストハウス編湊)を使いたいと相談したのがきっかけです。
当時、編湊では居酒屋をやれる人、料理人を募集していて、「ぜひ来て欲しい」という話から発展して、2021年5月にひたちなか市に移住してきました。
移住により自分のやりたいことが明確に
これまでの話を聞くと、人の役に立ちたいという想いが強いですね。
親に十分に愛されて育っていない分、自己肯定感の低さもあって、「人に認められたい欲求」や、「人の役に立っていないと生きている意味がない」という想いがあります。身の丈に合わないことをやろうとして、失敗ばっかりですけど(笑)。挑戦して、人の役に立てるような人材になっていけたらいいなと思っています。
移住して自分自身の変化はありますか?
気分の浮き沈みが激しくて、仕事をすぐ変えちゃう人間で、組織の中で頑張るっていうのが駄目だったんですよ。これまで「逃げてきた人生」だったなって思っていたんですけど、今、やっと自分の「理想の生活」ができているなって感じています。人と自分のタイミングで会えて、やりたいこともできて、生活するお金もあるっていうのが。
東京だったら、焦っちゃって、生き急いでほかの人と比べてばっかりで、ずっと自分に自信がなかったんですよ。「自分には何もないな」みたいな。こっち来て、ちょっとずつ人の役に立つようなことができるようになって、自分のやりたいことができるようになり、精神衛生上も良かったと思っています。
地域との関わりはどうですか?
場所を転々とすることは好きで、まちが好きという印象はありましたけど、これまで「地域と」みたいな考えはなかったですね。こっちに来てから地域を意識して、周りの人の役に立てる機会が増えてきて、改めて自分の求めるものに気づいています。落ち着いて自分のペースで仕事や生活が送れていて、今すごく幸福度が高いので、あんまり東京に戻りたいとは思わないですね。
それに、応援してくれる仲間がいるっていうことも大きいです。STANDとか、茨城移住計画とか、いろんな方との繋がりもあって、つくば、水戸、日立、ひたちなかと、各地で事業を頑張っている仲間がいるのも心強いですね。起業する人を育てるっていう精神が、県全体として今力を入れている感じもします。これからも、こうした輪が広がっていく気がしています。
充実した自分らしい暮らし
ひたちなか市の暮らしはどうですか?
おさかな市場に買い物に行って魚を家でさばいて食べたり。ほんとに新鮮で安いですし。あとジョイフル本田の画材コーナーはなんでもあるので夢が膨らみますね。あそこでウインドウショッピングしている時も結構ありますし、コストコも行きますね。ほどよく都市っぽい街並みなので、そういう意味では、暮らしずらさはないですね。今のところ、こっちの暮らしが心地良いのでコロナというのも相まって、東京には人と会う用事やライブなどがなければ、あんまり行っていません。
地域の人との交流はどうですか?
私は地域と関わりたい方だから、出て行っているんですけど、逆に干渉しすぎる雰囲気もないので、関わろうとしなくても居心地よく住めると思います。ひたちなか市は、本当に「外の人WELCOME感」がある。そこは何か居心地がいいなって思ったポイントで、より気に入りました。もともとはロッキンだけでひたちなかが好きだったのが、「まちの人たち」も、「まち」もどんどん好きになってきています。
これからの目標・夢
今後の目標・夢はなんですか?
直近の目標は、居酒屋の事業を失敗しているので、継続できるビジネスモデルを作ることが目標です。
「やりたいこと」や「食べていくこと」と、「人に価値を提供すること」って、100%シンクロすることはない部分もあると思うんですけど、自分がどう折り合いをつけて、ちゃんと継続可能な仕事にしていけるかっていうことに答えを出すのが今の目標ですね。
海と食・暮らしやすさがひたちなか市の魅力
改めてひたちなか市の魅力は?
海があるのがすごく好きです。でも、海に入るのは好きじゃなくて、眺めているのが好き。茨城の海は静かで綺麗な海だなと思っているので。ひたちなか市は海との距離感が近くて、そこが私にとっては1番魅力的ですね。海でとれるものがすぐ食べられる環境が本当に幸せだと感じています。最近は、旬なものを旬なうちに地域で消費するのが持続可能な暮らしには必要なことだなと考えていて。フードロスが多いのは無理に作りすぎるからだと思うんです。こういう田舎地域だと食の恵みが自然と循環しているので勉強になります。
食育にも興味があって、茨城では、それをやっている方も多いし、それが実現しやすい地域だなと思います。魚も野菜もいろんなものが集まるから、本当に食が豊かなところも魅力です。
今、移住を検討している同世代の方にメッセージをお願いします。
現実的に東京で生活していくよりも、ひたちなかで生活形成する方が、子育てのタイミングになった時にも生活しやすいと思います。住居のコスパ的にもそうですし、車があれば駅から離れていても、すごく安くて広い家に住める。子どもをいろんな公園に連れていけるし、東京みたいにギスギスした狭い社会の中で生きるよりは、子どもが伸び伸び育てられるのかなっていうイメージはすごく沸いています。それもあって、このままひたちなか市で子育てしようと思っています。私も今年から30代に入りましたが、「これから結婚して生活を」と考えている人にはすごく向いているまちって言いたいです。
最後に車の運転に不安はありましたか?
東京にいるときも、レンタカーを運転していたので抵抗はなかったです。東京に比べたら、こっちの方がスピードを出す人とか煽ってくる人が多い気はしますけど…。でも、たまにしか会わないですかね。バイク乗りとかヤンキーとかもそんなにいないです(笑)
2021年11月26日 取材
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